結婚間もないころの江國夫妻の日々。
結婚という枠の中に入った後も二人の間にある恋愛感情というものにひどく意識的である妻。
夫は動じない大きな人なのだろうな。こういう妻はけっこう大変だと思う。
結婚間もないころの江國夫妻の日々。
結婚という枠の中に入った後も二人の間にある恋愛感情というものにひどく意識的である妻。
夫は動じない大きな人なのだろうな。こういう妻はけっこう大変だと思う。
昨夜は暑くて夜中に何度も目が覚めて朝方もふと時計を見て後30分寝れると思ってから次に目覚めたら6時20分。
痛恨のち・こ・く
早番に入って3年くらいかな?初めて。今までの人生でも寝坊遅刻は記憶にない。
帰ってから久々の友達の家に遊びに行ってさらに別の友達の家にお見舞いに行って(2ヶ月ほど前に実家の階段から滑り落ちて背骨を破裂骨折してコルセット&安静生活)
夕方帰ったら旦那が晩ごはん作ってくれている幸せ。
最近アボカドが好きになってきた。
夜、今年初めてエアコンをつけた
音楽はちょっと聞いてるけどドラマとかは見ていない。
星野源ってちょっと気弱そうな好青年っていう見た目だけど頭の中は妄想系。
好きな作家さんやアーティストあまり名前は知らないけれど何らかの表現活動をしている人
それほど多くはないけれどなんとなく気になった人をツイッターやフェイスブックでフォローしている。
不思議でもなんでもないのかもしれないけれどタイムラインは割りと似通った意見考えが並ぶようになる。
ついそれが世の中に大勢なような気がしてしまう(私がテレビのニュースやワイドショーを全く見ないから余計にかも知れない)けど
違うんだね。むしろ少数派なのかね?
割りと敬愛している人が自分とは思想的に違う立場にいるんだな(大袈裟だけど)とそのつぶやきを見て知って
あぁそういえば前にもそんなふうに思ったなと思い返してみてもそれでもやっぱり好きなのだよなと
まぁ仕方がない。
インターネット上のブロブや掲示板にはそれを書き込んだ人が死んでしまった後もその書き込みは残り続ける。
本人にも予想外の場合もあれば死を意識しての闘病ブログあるいは自殺を意識した遺書代わりのブログ。
そういうものが残ってしまうのがネットの世界というものなのか
ところでこの本には該当ブログのアドレスとそのブログの画像が乗っているのだけれど
文字の部分は字が小さくて老眼の私にはメガネを掛けても外してもどうにも読めなかったのが残念
母方の祖母がロシア人で子供たちを学校に通わせない教育方針で叔父叔母たちもが同居する風変わりな一家。
4人の子供たちの内2人は父か母が違う。
彼らと関わる外の人々はどこか滑稽な悪役となってしまう。そのやり方は無神経に見えてしまう。
子供たちはその歪な家庭から出ていく。あるものは自力であるものは恋人→妻の手を借りて。
それでもその家庭に愛惜の目を向けずにはいられない
前にもこのタイトル使った気が。。。
息子の引っ越しから1週間。ゴミまで持ち帰るような引っ越しだったから帰ってからがまた一騒動。
あふれかえるゴミとゴミかゴミじゃないかわからないものとの格闘の日々。
そこへ持ってきて前からわかっていたとは言え娘が結婚以来初めてのお泊り里帰り。
何年ぶりかの家族4人ひとつ屋根の下。
色々心配はありますが良い方向に向かってほしいものです。
秋以降の予定が色々。
9月に楽園音楽祭がモリコロパークであるのだけれど、全席自由で入場整理番号付きというのがちょっとネック。
そういう時に前に行けずに後ろに下がっちゃう方なんで。
なので大阪野音に行こうかなと、せっかく地元なんだけどね。
後は北海道を視野に、結婚30年でもあるしね。
秋の自分(と言うか周辺の)の状況はかなりあやふやではありますが、そろそろ決断せねばなりません。