159冊目 「小高へ」 島尾伸三

 

小高へ

小高へ

 

「死の棘」の子供が父の足跡をたどり亡き父母と妹の思い出を語る。と言えればスッキリするのだろうけれど

断片的な描写からはこの一家のことをある程度知っていないと読み取れることは少ない。

痛々しさとか忌避感は感じ取れるのだけれど。

 

 

 

158冊目 「最後の晩ごはん 忘れた夢とマカロニサラダ」 椹野道流

 

夏神さんも海里も過去から逃げず一歩前進したシリーズ8作目

マカロニサラダに缶詰みかんってちょっと昭和な香り。学校給食とか。

 

157冊目 「薔薇の木枇杷の木檸檬の木」 江國香織

 

薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木 (集英社文庫)

薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木 (集英社文庫)

 

 江國香織の美しい文章でつい読んでしまうけど、これなんて悲しいお話なんだろう?

結婚に向いていないか組み合わせを間違えたかのようなカップルたち。

このお話と私の間に結婚や恋愛に関する意識の深くて暗い食い違いがある。

主人公のひとり陶子の妹草子とその婚約者に救いを感じる。

それなのにこんなにも美しい。

 

156冊目 「客席から見染めたひと」 関容子

 

客席から見染めたひと

客席から見染めたひと

 

 インタビューとか聞き書きとかが好きだ。薀蓄も思い入れも少々の優越感(私こんなに知ってるのよ)も悪くない。

落語や歌舞伎は同じ名前の人が親子だったり師匠と弟子だったり赤の他人だったりで混乱する。

何代目とか言われても。。。ははぁとしか言いようがなく顔も思い浮かばないのが残念。

だいたいその芸を見たこともないのがすでに申し訳ない。

155冊目 「夫の後始末」 曽野綾子

 

夫の後始末

夫の後始末

 

 非常に読みやすい。所要時間は3時間と言ったところ。

数ある介護本や配偶者と死に別れた作家の本と比べてこのあっけらかんとした感じは貴重。

言ってることは至極もっとも、うなずけるものが多い。でも作者自身は遠い存在にしか感じられない。

これは曽野綾子のエッセイを読んでいるといつも感じること。

154冊目 「奏弾室」 仁木英之

 

奏弾室 (文芸書)

奏弾室 (文芸書)

 

音の良し悪しがわからなくなった青年。ある日森の中から聞こえてくるピアノの音に呼ばれて美しいピアノ教師のもと訳ありな生徒たちの演奏に付き合うことになる。

訳ありな生徒たちが思いを遂げていくのに寄り添う物語かと思いきやその後に青年そのものの謎がじわじわと深まってゆき最後には。。。というお話。

 

 

年末

名古屋市の図書館は今月ひとり10冊まで借りられる(普段は6冊)

今日行ったら返却日が1月6日で思わず「返却期限が来年だと年末が来たなぁって思いますね」と言ったら司書さんに軽く笑いとも鼻息ともつかぬものを返されたのだけど。

今年もあと2週間ばかりですね。

 

153冊目 「濹東綺譚」 永井荷風

 

濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)

濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)

 

荷風。結構ふりがなふってあるんだけどそれでもまだ読めない漢字があったり名詞もわからないのが色々。。

それでもなんと読みやすいんだろう。

消え去りゆく江戸の名残、受け入れがたく醜く思える新しい風、玉ノ井の娼婦との交流、上っ面の嘘でしのいだ関係の底に流れる心情。