93冊め 「抱擁、あるいはライスには塩を」 江國香織

 

抱擁、あるいはライスには塩を

抱擁、あるいはライスには塩を

 

母方の祖母がロシア人で子供たちを学校に通わせない教育方針で叔父叔母たちもが同居する風変わりな一家

4人の子供たちの内2人は父か母が違う。

彼らと関わる外の人々はどこか滑稽な悪役となってしまう。そのやり方は無神経に見えてしまう。

子供たちはその歪な家庭から出ていく。あるものは自力であるものは恋人→妻の手を借りて。

それでもその家庭に愛惜の目を向けずにはいられない

 

いろいろあるんです

前にもこのタイトル使った気が。。。

息子の引っ越しから1週間。ゴミまで持ち帰るような引っ越しだったから帰ってからがまた一騒動。

あふれかえるゴミとゴミかゴミじゃないかわからないものとの格闘の日々。

そこへ持ってきて前からわかっていたとは言え娘が結婚以来初めてのお泊り里帰り。

何年ぶりかの家族4人ひとつ屋根の下。

色々心配はありますが良い方向に向かってほしいものです。

 

会報が届いて

秋以降の予定が色々。

9月に楽園音楽祭がモリコロパークであるのだけれど、全席自由で入場整理番号付きというのがちょっとネック。

そういう時に前に行けずに後ろに下がっちゃう方なんで。

なので大阪野音に行こうかなと、せっかく地元なんだけどね。

後は北海道を視野に、結婚30年でもあるしね。

秋の自分(と言うか周辺の)の状況はかなりあやふやではありますが、そろそろ決断せねばなりません。

待ち時間

息子の引っ越しに来ているんだけれど、困ったことにというか案の定というか借りてきたトラックに荷物が乗りきらず。
ダンナと息子が一度荷物を置きに行くことになった。
その間に残りの荷物をまとめつつ掃除をしているんだけど何しろ荷降ろし入れて往復したら6時間はかかりそうなもんだから時間をもて余して休憩中。
テレビもパソコンも持って行っちゃったもんなぁ。。。
文庫本一冊見つけた。懐かしい
https://www.instagram.com/p/BVoogHFgU9i/
暇潰しに文庫本

92冊め 「漂うままに島に着き」 内澤旬子

 

漂うままに島に着き

漂うままに島に着き

 

 エッセイストでイラストレイター、病を得た後東京脱出を図り小豆島に移住。

古い借家を借りやぎを飼い狩猟をし少々の畑を耕し島の住民や移住者たちと付かず離れずの交流を持つ。

良いことばかりにも見えるけどまぁそうばかりでもないのだろう。

地域にもよるのだろうけれども移住者(よそ者)への拒否感はそれほどでもないのかもしれない

 

ようやく雨

梅雨入り以来久々の雨。待望の。。と言いたいところだけどちょっとどうよと思うくらいの台風みたいな風雨。ベランダの鉢が転がり紫陽花が重たい花を床に擦り付けそうになっていた。

夕方には雨も上がって空が明るくなっていたから明日は晴れるかな?

明日は引っ越し。

91冊め 「だれもが知ってる小さな国」 有川浩

 

だれもが知ってる小さな国

だれもが知ってる小さな国

 

 もうどうしようもないことなのだけれど佐藤さとるのコロボックルに魅せられた者にとってはこの話を純粋に楽しむのは難しい。

村上勉の表紙や挿絵に対しても「ずるい。。」って思っちゃうもんな。

たとえばこれが佐藤さとるの新作であったなら私は喜んで受け入れただろうか?

やっぱりなんか違う。。。と思っただろうか?

 

 

90冊め 「儚い羊たちの祝宴」 米澤穂信

 

儚い羊たちの祝宴 (新潮文庫)

儚い羊たちの祝宴 (新潮文庫)

 

 どんでん返しというよりも意表を突く結末というべきか。

どこかほの暗くあるいは滑稽なほどの結末が見事。

89冊め 「神々の山嶺 下」 夢枕獏

 

神々の山嶺(下) (集英社文庫)

神々の山嶺(下) (集英社文庫)

 

 山に登ること=生きることである男たち。平地に自分をつなぎとめておくことができない。

たとえどんなに山が辛く命の危険があっても、平地に愛する女がいても。

万端の準備を整えてエベレスト冬季無酸素単独登頂に挑む男と命ギリギリでその後を追おうとする男。

圧倒的な雪山の描写。

身近な人間から見れば身勝手な男たちだ。その執念と後に訪れるかもしれない安息が胸を打つ。